世界を変えるサステナブルアルゴリズムとの出会い

DATAFLUCT 創業ストーリー

お盆に入り、少しだけ時間の余裕ができた。DATAFLUCTのステークホルダーの皆様のために、よく質問を受けるなぜDATAFLUCTを作ったのか、どんな世界を成し遂げたいか、という話について初めて書き残したいと思います。

Episode1: DJイベントで440万円の借金

刹那的な生き方ができなくなった学生時代

私の人生は失敗続きである。受験では毎晩眠れなくて、当日はお腹が痛くなり、何度もトイレにいって、充分にパフォーマンスが発揮できない。これも実力のうちだろう。高校も大学も志望校はいけなかった。楽しいこと、楽しそうなことを我慢して、努力に努力を重ね、偏差値も十分なレベルに達したが、私は常に本番に弱かった。

大学(大阪府立大学)では数理工学を専攻し、数学を基盤とした技術が社会を変える可能性に出会えた。ニューラルネットワーク、量子コンピューティング、統計学、解析、暗号理論(=これは私の専門分野)など理論(=実践ではない)を勉強した。私の修士論文は、社会全体を最適化できるエンジン「電子選挙」であった。ただ、こんな数学で社会が変わる時代なんてほと遠く、私の就職先といえば、SEか数学の先生かアクチュアリーだった。どれも面白くない。自分が生きている間に数学を使って社会が変えられる時代は来ないだろうと思って、文化娯楽に興味を持っていた。

私は情報弱者であった。地方で流行るネットワークビジネスに騙され、いろんなバイトの勧誘にもあった。「この仕事はクライアントの要望を叶える事務の仕事です」という話で面接に行ったら「クライアントであるインターネットの男性を文字をかいて喜ばせて欲しい」。女性のふりをして出会い系サイトで男性を喜ばせるという仕事だった。10秒考えて、即やめた。パワハラセクハラ三昧の塾講師、ブラックなコンサートスタッフ、オールナイト居酒屋など20種類のアルバイトを通じて社会を勉強した。

大学生の終わりを迎える頃、振り返ると、バイトばかりでつまらない学生時代であることに気づく。芸術家になれない私はどのように社会にインパクトを与えられるだろうか。周りの大学生は「いかに初任給が高い、広告代理店やコンサルティングファームに入るか」で盛り上がっていた。「とにかく20代のうちに1000万円を目指したいのだ」と。「就職ランキングのチャートにある会社に入っちゃえばなんとかなるから」と。それがこの時代の価値観であった。20代と若い頃にいかに年収を上げるか、安定を手に入れるか、私はその考えには同意できなかった。ユニークなことをしたいいう考えを持つ私だけが宇宙人のように思われた。

大学院に行くことで、孤独なモラトリアムが始まり、HouseMusicのDJになった。当時はYoutubeがない。一晩数十万円で場所を借りてアーティストをブッキングして音楽イベントを1年で7回開催した。ITベンチャーでのアルバイトが忙しくなりすぎて、大学院を休学した。7回の開催で1回だけが黒字。あとは、赤字続きで440万円の借金を背負うことになった。10社ほどの消費者金融にお世話になり、どうやってこれを返していくべきか、が頭の中を駆け巡った。この時代は高い金利を支払わせる消費者金融がとても多かった時代。現実的に計算したら40歳くらいまで返済に時間がかかりそうだ。やばい、人生詰んだ。

人生の方向性を変えなければならない。お金がなくなってやれる趣味を探そう。本を読むことだ。本はレコードと違ってコスパがいい。月に4–8冊の本を読んだ。日経、ハーバードビジネスレベニュー、宣伝会議、電通報などたくさん読んだ。大いなる挑戦をして大いなる失敗を手に入れた偉人の話が面白かった。本にはいろんな人の失敗事例が書いてあるやないか。偉い人の伝記も経営学の本もマーケティングの本も小説も、全ては挑戦と失敗の繰り返しに見えた。様々な本を読んでみたわかってきた事がある。「社会に大きなインパクトを本当に与えられた人(ex. 渋沢栄一)はとても長期思考を持っていたこと。若い頃にうまくいかなくて、長期的スパンで成果を出せたということ」

今を生きるのではなく、将来の自分を生きよう。

「人生は粘り勝ちかもしれない」

そんな考え方が自分にしっくりくる。大いなる目的に向かって地道に努力を、やるべきことを積み上げ、その先にゴールがあれば良い。ゴールはあるのか分からないし、努力の先に成功はあるのかも確信はない。そもそも若者で大いなる目的なんて持てない。私は20年かけて借金をどう返すかが重要なんだから。長い長い借金生活のはじまりはある種の諦めであり、今この瞬間さえ楽しければいいという「刹那主義」と決別することを意味していた。今は楽しまなくていいが、無能な自分と決別するために時間を使おう。

未来を生き抜くために、昨日の無能な自分を超えていきたい

Episode2: ベネッセ

「よく生きる」、文化や教育に投資するということ

借金まみれの大学院生は、ITベンチャーで3年間アルバイトしていた。D通や、RルートやSIerの人たちと仕事をしていた。借金する、休学する、ガッツリアルバイトで働く。サラリーマンの仕事の楽しさがよくわかった。

人の心を動かすマーケターになりたい、という軸で会社を選んだが、結局、教育という見えなくて長期性の利回りのある資産に心を惹かれ、ベネッセを選んだ。現代アートが好きで直島にも何度も行った。経済性よりも価値があるもの「文化」に触れることができた。

朝礼で当時の社長の福武總一郎は、「子供は未来からの留学生」「おじいちゃんと子どもを元気な国にする」「経済は文化の僕である」「継続ビジネスで再投資する」「顧客リストを作ってダイレクトマーケティグで塾がない場所でも通信教育を届けていく」という話は新卒の私に響いた。

人の可能性を育て、人の成長のお手伝いをし、人々に信頼される「人を軸」とした事業を展開するベネッセが新卒で本当に良かった。

ところで新卒の配属はつまらなかった。何と借金地獄で発行審査が降りることがない提携カード事業に配属されたのだから。クレーム対応のエスカレーションは本当に嫌だった。「いいかい、課題を解決するのが仕事ではなくて、顧客に満足してもらうことが仕事なんだ」「相手の立場に立って、相手の心の中にある課題を解く」。自然と顧客と向き合う仕事のスタイルが身についた。

データに基づいたマーケティングも仕事で身についた。在庫予測も、A/Bテストも、Webアナリティクスも周りの人は誰もできなかったけれど、数学を余裕で扱える自分には簡単すぎた。この仕事をデータサイエンスという。当時は無価値な技術だ。

「刹那的な意思決定」に対峙することも多かった。3年後の売り上げしか考えない役員、自分が偉くなることにしか興味がないように見えた。未来の事業よりも、来年儲かる事業を優先する。取引先と境界線を決めて、区別して、「あの会社は下請け」という概念。社員、パートナー、派遣、小会社などの働き方の境界線を決めて、能力に関係なく、与えられる仕事の機会も報酬も均等ではない仕組み。新しいことを提案しても、本業が忙しすぎてそれどころではなくなる。

時間の概念が狂っている私には、「会社の中が全てが刹那的なもので溢れ、そのような思想が社会にも溢れていて、この世界はなんて生きづらい社会なんだ」と思った。これは会社批判ではない。どの会社にもある空気だろう。しかし、数年後に情報漏洩が起きたのは紛れもない事実であり、ここでいう仕組みの欠陥がもたらしたのかもしれない。

トップには理念がある。いい会社にしよう、と真剣に思っているが、現場はそうではない。トップは遠い未来だけをみているが、現場は視座が低く目の前しか見えない。現場は現場で腐っていく。でも、なぜこうなってしまうのだろう。理念は素晴らしいがビジネスが追いつかない。変われない組織への嫌気を感じ、変えられない自分の限界に嫌気を感じる。会社員人生に見切りをつけたところで、いかに成長する機会を探すのかを考え始めたのは、社会人2年目の頃だった。

理念経営と実業を両立させる方法を学びたい。

EPISODE3: 早稲田ビジネススクール

自分の限界を越えるため、自分をさらに追い込める方法

社会人3年目で、更にローンを組んで、早稲田ビジネススクールに入った。この時の資産はマイナス1000万円くらいだったと思う。夜間なので、5時半に多摩センターを出発したら7時からの早稲田の授業に間に合う。私は文字通り、心身削りながら2年間を過ごした。今はリモート授業がある時代だが、当時の私の総移動時間は一日150分あった。

プラットフォーム戦略論を学び、いかにGoogleやFacebookのようなプラットフォームが搾取していくかを学び。ソーシャルベンチャー(社会起業家)をリサーチして、いかにビジネスがうまく回らないかの構造を学んだ。この頃から、学ぶ、本を読む、人と会う、新しい知的好奇心を叶えていくことが自分の「性(さが)」だと思うようになった。

学び続ける身体へトランスフォーメーションだった。問題に出会う、リサーチする、とにかく調べる、構造化する、課題を特定する、解決策を考える。もっと本質的な問いがないのかを考える、という思考回路(アルゴリズム)がインストールされた。これを学び続けるリーダーシップ=ラーナーシップ(Learnership)という。

一緒に学ぶ仲間は人生を通しての資産になる。2010年にTwitterが流行り、2011年にはFacebookが流行った。一緒に学ぶ仲間とSNSを通じて交流ができ、私の世界は開けていった。GoodBy!情弱。地方大学育ち、多摩センター育ちの私にとって学び以上の資産がそこにはあったと思う。日本を動かす大企業の人たちはどんな仕事をして、どんなビジネスがあるのか学ぶことができた。ちなみに、ゼミのパイセンや先生やその関連の方々にエンジェル投資をいただいている。

でも、私のMBAに行く目的は「将来、起業して経営者になるため」だった。2012年に卒業して、起業するまでに6年間かかった。起業するのを目的にしたら、MBAはおすすめしない。どうしたら失敗してしまうのかと考えることが得意になってしまったからだ。いずれにせよ、学び続ける強みを武器にいつかは起業しようと思っていた。

MBAの価値とは学び続ける自分、変革し続ける自分に出会えたことだ。それが自分の性だと。

EPISODE4: マクロミル

挑戦の機会、連続的な失敗と事業責任の重さ

MBAの単位が取れ、挑戦の機会を渇望し、自分の裁量で仕事できる機会を探した。創業10年ちょいたったマクロミルの新規事業を担当することになった。

すぐに、MBAは役に立たないことが証明された。学びと実務は別物だった。事業責任者としての私は何もかもが未熟だった。

この頃からデータを活用したビジネス創出が本業になった。CRM(顧客データ)、モバイルアプリから収集できるデータ、アンケートデータを分析して価値に変えるにはどうすればいいかを日々考えていた。(データを商いに、というコンセプトはこの時に生まれた)

事業を立ち上げ、リーダーとしてどうふるまうか、メンバーをどう育成すればいいか、チームをどう組成すればいいか、プロダクトとは何か、どんな事業プランを描けばいいか、パートナーとどうやって事業を作っていくか、のすべてを9ヶ月くらいで学ぶことができた。9ヶ月で事業は閉じられた。身も心もすり減った。いわゆる、メンタル限界だった。燃え尽き症候群のようなものだったかもしれない。事業責任者とは重圧であるが、私の生き方そのものだと思えた。

今では事業責任者候補を面接する時に確認するのは「顧客に会え、仮説構築・検証ができる人か否か」である。要するに、顧客と会わなければ、不確実性の高い事業において成功の鍵が見つからない。MBAで学んだはずなのに。ベネッセで身に染みたはずなのに。BtoBビジネスとなると、当時の私はうまく行動できなかった。

「企業における新規事業で失敗する」と次のチャンスがなかなかない。他の新規事業もお金がなくなると同僚がやめていった。私も社内浪人みたいな感じになって、本当に暇だった。元気を取り戻すと、再び、挑戦の機会を渇望する。

データを商いに変える事業開発はとても面白い。

EPISODE4: リクルート

事業で社会課題を解くことができるだろうか

マクロミルに転職して一年で辞めることにした。よって、エージェントに相談すると、次は硬くて挑戦できる会社がいいということで、リクルートをおすすめされた。次は、個人情報漏洩したゼクシィの婚活サイトの事業企画だった。入社後、半年で瀕死だった事業をグロースし、ピボットを進めることになった。この事業は好きな事業だった。ただの婚活サイトではなく、離婚しないアルゴリズムによってマッチングすることで、幸せなカップルを増やすというものだった。しかし、これじゃ儲からず、スワイプ型の見た目やスペック重視の婚活アプリを模倣してピボットすることになった。

リクルートでは、この『機会の不均衡』をマッチングビジネスを通じて解消する新事業に次々に関わることになった。挑戦するカルチャーはベネッセやマクロミルにはない文化であった。役員も頭が良くてリスペクトできる人が多い。この会社はもっともっと大きくなっていくだろう。

情報をビジネスにする会社において「アルゴリズムで変えられる世界がある」と確認できた。マッチングアルゴリズムとは、数多ある組み合わせのパターンの中で、最適な解を見つけるというもの。最適とはどういう状態なのか、を真摯に向き合うことになる。誰の利益を最大化するか、そして、それはどの時点の利益か。

新規事業コンテストで最初に入賞したのが、外国人労働の問題を解くものだった。アジアの外国人が気持ち良く働けて、労働力の流動化をする事業を企画した。国際労働問題は根深く、儲からなかった。8年前から外国人労働問題は本当にひどいが、本当に人権問題は事業で解くのが難しい。

カウンセラーが相談に来て、カウンセラーを民主化したいという相談を受けた。これもコンテストに応募して、事業化をした。労働により、うつ病になる人がこんなに多いことに気づき、気軽に相談できる仕組みを作ったが儲からなかった。

中古車売買において訪問せずに、チャットで相見積もりを取れる仕組みを作ろうとした。今でいうDX。中古車売買はクリーンではないイメージがあり、受け入れられなかった。(しかし、この仕組みは、コロナ禍に事業化されている。)

特定保健指導を受けなければならない人に対して、IoTデバイスを配って、医療費を下げるモデルを作ったが、これも儲からず、撤退した。

1000人以下のカウンセラーや精神産業医が置けない組織に対して、クラウドでカウンセリングのスキルを持った医療職である産業保健員を配置する仕組みを作った。いわゆる、カウンセラーのクラウドソーシングで、新規事業コンテストでグランプリを受賞。その後、事業化したものの、スケールできず撤退した。

「いろんな事業を考えては提案する」という学び続ける私の姿勢、唯一無二の「誰でも挑戦できる機会」により、自分自身が成長ができた4年半だった。

しかし、新規事業開発で満足できる成功はひとつもなかった。ちなみに、私の仕事が賞賛されたのは、いわゆる事業の中でデータ活用をすること、業務変革、組織変革であった。今の言葉で言うと、デジタルトランスフォーメーションである。

さまざまな事業と向き合って気づいたことがある。社会課題を未来志向で課題を見つけ、ベストなタイミングで事業展開することが最も重要だということだった。しかし、その当時の社会の負を解消するリクルートでは、GAFAMのような未来志向・長期思考で事業がつくれないと思った。そろそろ起業したいぁ。その前に一つ確認したいことがあった。それは「私のイノベーションスキルはリクルート以外でも発動できるのか」という問いだった。環境が私にチャンスをくれたのだったら、ベネッセのような挑戦の機会が少ない会社を挑戦する組織に変えることにも興味があった。

未来志向で、長期思考で社会課題解決型の事業を生み出したいことがわかった。でも、どうやって。

EPISODE6: 日本経済新聞社

日本の象徴としての組織のトランスフォーメーション

リクルートで次々に新しいビジネスを生み出す経験・ノウハウを全て手に入れた。古い体質の伝統的な企業でそれが再現できたら社会は良くなるのではないかと考え、日本経済新聞社に入社する。

借金を抱えた時にもお世話になった。毎日読み続けた日経新聞、日経BP、切り抜きもしまくったし、書籍も買いまくった。恩返しするためには、ちょうどいい会社だし、日本では最もリスペクトできるメディアだ。

軍隊のようなところで、歴史があるようなところがいい。ベネッセで感じた硬直した組織が日経にはあった。まさに、野中郁次郎先生の「失敗の本質」に書いてあるような「特定の戦略原型に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった」ということが立証された組織だ。

コンサル会社に高いお金を払っても全く事業が前に進んでいないケースが散見された。役員は部下の言うことよりもコンサルの言うことに耳を貸す。おいおい、たくさんお金をお支払いしているその人たちは自分で新規事業を起こしたこともないし、データビジネスも知らないのに、なんで経験豊富な私を信用しないのか。答えは、私はあなたの部下だからだ。

私は、新規事業を推進する組織で、自ら、事業を生み出す仕組みを作り、企画していった。予算、ピッチイベント、権限委譲、アクティブラーニングなど。計15本ピッチして、そのうち4本の事業化が決定した。しかし、イノベーティブな多くアイデアは否定をされるのでもなく「良く分からない」という理由で事業化に至らなかった。

「良く分からない」もの、「良く知らない」ものに投資できないという考え方が組織には横行している。私の残り数年で定年を迎える人の意思決定に人生を預ける気はない。どう考えても、自分でお金を集めて、私がやるべきだと信じたものをやる方が割に合いそうだ。大企業は確実にリターンがあるもので、自分で理解できるもので、短期的な意思決定ができない。不思議にも誰かが既に事業化しているようなものに意思決定したがる。それがみんながやるのと同じようなクローンのような事業をやることがそんなに楽しいか。意思決定も同調圧力の組織だ。

まとめると次の通り。

•既存事業を成功者たちがが意思決定プロセスにいるため、本能的にリスクを回避してしまう。

•不確実性の低い領域になればなるほど、規模が小さくなり、やる意味がなくなる。

•大規模になればなるほど何階層もある意思決定プロセスを潜り抜ける必要がある。

→不確実性の高い事業領域に参入できないというジレンマがある。

•そもそも、社長は新しいトレンド(AIやデジタルやベンチャーなど)の本質を理解できていない。

•「デジタル」「AI」「オープンイノベーション」などのビッグワードで部署(箱だけ)が立ち上がる。

•結果が出る前に、恒例の役員ガラガラポン異動により、責任不在になる。

→長期思考の事業に意思決定できるはずがない。

だから私は逆張りをしようと思った。イノベーションをあまりにも軽視している今の日本市場に未来はない。不確実でリターンがあるかわからなくて、長期的な視点で詰将棋のような勝負をしたい。そうだな、毎年1ダース分(12本分)のサービスをローンチしよう。最終的に統合できるように設計しよう。戦略は、AmazonとGoogleをベンチマークした。それは、やはりデータビジネスだった。連続的にデータビジネスを生み出すプラットフォームを実現するためにできることからやろう。

同時多発的に事業を生み出す仕組みができれば組織も世界も変えられる。

EPISODE7: DXアドバイザー

古い組織を変革するのが私の専門分野

古い産業をデジタル化して、ビジネスモデルも、企業文化も変革することこそが、日本に求められている、と気づいたのは2017年だった。いわゆるデジタルを活用した組織変革、事業変革の支援のコンサルを始めたのはその年以降だった。マスコミでかなり年収の高い日経の平社員よりも5倍くらい稼げるぞ。時代も追い風で「DX」がバズワードになっていた。

私はとにかく「自分が知らない業界の課題を学習したい」「コンサルを100社分やってみよう」「いろんな会社のDXや新規事業のアドバイスをしよう」と純粋な気持ちで案件を受け続けた。学生時代にたくさんアルバイトを経験してみよう、みたいな好奇心だ。その結果、70社のコンサル経験ができた。

案件を受ける条件は、1.やったことがない業界でなるべくデジタルで全社戦略であるか2.本気で取り組みたいと思っているか、である。最初は、「仕事のための仕事ばかり」でヤケに浪費する地雷案件もある。

正しい仕事をするために正しい顧客を選ばないといけない、というスタンスに変わっていった。

どの企業も同じ問題に突き当たっていた。新しい概念が理解されないのだ。DXも新規事業もAI(技術)もすべて新しい概念であった。私の資質である「ラーナーシップ(よく分からない概念を習得するスキル・姿勢)」をインストールしてあげたら、その課題は解けるのだが、あいにく教育という見えないものに投資する長期思考を企業は持ち合わせていないので、新しい概念が発明されるたびにコンサル企業が潤う構造になっている。例えば、DXの概念は、デジタルが主役ではなくて、本質的にはビジネスリターンをしっかり考えて、業務変革、人事変革、情シス変革を同時にやって、価値を発揮できるものだ。そのためには、経済的な価値だけではなく、顧客価値(顧客により良い体験を届けることの重要性)や人材価値(従業員やスタッフの大切さ)というものを理解しないと前に進まない。人への投資を軽視しすぎた日本の失敗がここにある。

「経営を知らない情報システム部門がDX推進できるのだろうか」

「技術を知らない経営企画がDX推進できるだろうか」

両方とも、否である。技術と企業変革の融合という未知な概念を理解してもらうにはどうすればいいのか。30社ほど支援していった時に、成功企業の共通点が見えてきた。

「ビジネスモデルだけではなくて、情報システム、人事システム、組織システム、経営システムなどシステム全体として変革を進めている企業が成功している」

逆にいえば、ダメな例は、変革したい部門ごとに進めている中途半端に権限を持つ企業、デジタル人材を採用したいといいながらエンジニア組織について人事がその重要性に理解していない人事戦略がない企業、レガシーなシステム上に無理矢理モダンなアプリケーションを作ろうとする情シス中心企業。その結果、どこもうまくいっていない。

よくある縦割りによるサイロ化や部分最適によって、変革が阻害されている。しかし、投資額の大きいデータ基盤においては全体最適で考えなければならなかった。事業部サイドからすると基盤自体に興味はないものの、データ自体が価値を生み出すので重要だと気づいていた。だから、「概念」を理解できた企業は「データ基盤の導入」という名目のものと、サイロ化するデータをかき集めて統合し、みんなが使えるようにしていた。サプライチェーンのデータを統合して、製造・生産・販売・サービスが連携できている企業こそ、DXの成功企業だった。キーワードは「統合」であった。その統合は、データ基盤だけをさすのではなく、人事も事業もサービスも組織構造も統合しなければならない。

よって、データの世界でならば、組織を一つにできるのではないか。データ統合により新規事業を生み出すことがイノベーションへ最短ルートかもしれない。古き良き日本企業に変革を起こすべく、最初にやるべき使命が見えてきた。

「私は日本企業の新規事業開発部を担うために創業した」

この数十年間日本企業が負け続けたのはプラットフォームビジネスやデジタルビジネスなどの新規事業に取り組めなかったからである。多くの大企業には本気でそれに取り組めない構造的な理由がある。

私は、デジタル・データサイエンスという武器を作ることによって本来強かった日本企業に再び栄光を取り戻すために存在する。すなわち、大企業にとって、技術×新しい価値の創造など実現が困難な事業アイデアを我々がリスクをとってチャレンジする。

世界で戦えるデジタルビジネスをスピード感持って生み出し続けることで、日本企業が世界で、再び栄光を取り戻すことができると信じている。

新規事業で、データの世界で、大規模組織を一つにすることが企業変革への第一歩である。

EPISODE8: JAXA

衛星データを活用するプロジェクト「DATAFLUCT」のはじまり

会社をやめてやる!と言ってから、アンテナを立てはじめた。リクルート、日本経済新聞社の経験を経て培った経験が後押しして、「データサイエンスで世界を変えられる」という想いも強くなっていた。そして、宇宙航空研究開発機構 (JAXA)からオファーをもらい、その新規事業をパートタイムで支援することになった。

JAXAの宇宙ビジネスは、とても長期思考で未来志向であった。長期的で不確実な事業に、日本企業が投資をしてもらうにはどうすればいいか、という問いと、宇宙空間を活用するビジネスは市場規模が小さいだろうから地上ビジネスと結びつけるにはどうすればいいか、という問いが私にとって難しくて複雑で心地よい。この二つの課題を解くキーワードがSDGsであったりする。JAXAの事業開発はとても面白い。

同時に、衛星データビジネスの日本の現在地もわかった。JAXAに入り、2週間経った時、自分で「衛星データを活用した、100年後も残るデータサイエンス」事業をしたいと強い想いを抱くようになり、“DATAFLUCT” プロジェクトがはじまった。

プロジェクトのルールは5つ。

1.コンサルではなく、自ら投資をしてプロダクトで勝負をする

2.衛星データを使って社会課題を解決する

3.スタートアップスタジオモデルで同時に12本作れるようにする

4.未来志向・長期思考でビジネスを創出する

5.最終的にプラットフォームビジネスに繋げるので、失敗は恐れない

そして、

・ 食品廃棄ロスの問題をデータサイエンスで解決するプロダクト「DATAFLUCT foodloss.」

・Pythonが書けなくても簡単に衛星データを扱えるサービ「DATAFLUCT discovery.」

・出店における失敗リスクを下げられるサービス「DATAFLUCT marketing.」

を作り始めた。データビジネスリストを100本ロングリストのアイデアを作り、全てが具現化されたら、AmazonやGoogleを超えるようなデータプラットフォームになるように設計した。大前提として、グローバルを攻められる事業のみを考える。

宇宙起点で考えれば長期思考・未来志向で、社会課題解決ビジネスに絞られる。

EPISODE9: DATAFLUCT

全ての事業にデータ活用と持続可能性が求められている

私が関わってきた案件は「社会課題解決」を前提としたものが多い。そういう案件をやりたいと言っているし、そういう実績が多くなっていった。

例えば、オフィスビルやマンションなどの建物がたくさん建てられている。人口減少していくのに。その一方で空き家が増えていく。こう言った問題を解決するためには、建物を大切に、永続的に使えるように修繕やメンテナンスをすることだったり、リノベーションをして、価値を高めることだった。そう言ったアルゴリズムを作るための事業をお客様と始めた。

例えば、宮崎県の鰹漁師がベテランの勘をAIにして、ロボット漁船化させるプロジェクトも始めた。とても共感をした。漁獲高はどんどん下がっていき、漁師になる人材も減っている。外国人留学生ばかりが船に乗っているのだが、過酷な環境だ。AIによる漁業は長期的視点で考えると、通れない選択肢であった。

例えば、気候変動のニュースが飛び込んでくると、路地野菜の影響が気になるようになった。物価の変動はあまり気にしないが、野菜の変動はとても激しいことをスーパーに毎週行く主婦はよく知っている。野菜の価格変動が激しいと、農業従事者の収入が安定せず、ずっと続けられなくなる。ただでさえ、高齢化が進む農家を100年後も永続させることができるためには何ができるだろうか。

それぞれのサービスをつくり出していく中で気づいたことがある。

「それって100年後も続いているのだろうか」

このままだと続かないなぁ、何故だろうか、社会的、経済的、環境的な要因が絡み合って、その問題を生み出していた。それらはすべて、持続可能性を考えさせるものだった。

複雑な要因を解くために、現場に行ってみよう。話を聞こう、観察をしよう、世界のニュースを見よう、統計データを漁ろう。まずは、デジタルの力を使って現場の課題を解決してみることだ。その先に、顧客の課題も解決して、事業の課題も解決できるだろう。小さな揺らぎ(=FLUCTUATION)が大きなムーブメントに変える方法を考えよう。大切なのは、利益ではなく、インパクトである。事業の連鎖の先に、社会と環境全体の課題が解決できる「最適解」がどこかにあるはずだ。数学が大好きな私は、とにかく複雑で難しい問題を解きたくなる。

MBAのおかげで課題設定力は高まり、マクロミル時代にリーダーシップを学び、リクルート時代にプロダクトを作るのがうまくなり、日経時代に組織の課題も知った。DXコンサルとして社会の課題と向き合う機会が増えた。衛星ビジネスで地球規模の課題、気候変動に出会えた。ここまでで自分で作った新規事業と支援した事業を合わせると30は超えていた。帰納的に言えることは、「持続可能性… サステナビリティ」であった。

今、DATAFLUCTが挑戦するのは、地球規模での持続可能性。そのための企業変革のためのプロダクトをつくり、様々な意思決定を改革する。その解決策(プロダクト)のことを、「サステナブルアルゴリズム」と呼ぼう。

DATAFLUCTのミッションは、サステナブルアルゴリズムを実装することで、100年後も続く社会を作ることだ。

本当の意味の創業まで約20年間を要したが、これまでの人生と残りの人生を賭けて解くべき使命に出会えただろう。

まとめ:サステナブルアルゴリズム

ここまで読んでくださった方は本当にありがたい。全てのエピソードから私が体験したことの全てを詰め込んだのが、今のDATAFLUCTであり、これからのDATAFLUCTになる。

  1. Philosophy –サステナブルアルゴリズムの社会実装–
  2. Vision & Value –データを商いにするために私たちのスタンス–
  3. Product Concept –データビジネスを可能にするプラットフォーム –
  4. Platform Vision -サステナブルアルゴリズムの共有で、世界を一つにする –

Philosophy — Make a Sustainable Algorithm –

すべての人がデータを活用できる、持続可能な未来を作る

サステナブルアルゴリズムとは、100年後も続く社会を見据えた意思決定のこと。

環境価値・社会価値・顧客価値・経済価値を両立させた最適解にたどり着く方法のこと。

今、私たちにできるアクションは何かという問いをたて、未来志向(バックキャスティング)と長期思考(長期的な回収サイクルを前提)から、今の時代に求められる最適解のこと。

こういった、思想を埋め込み、プロダクト開発をしていくことで、世界を変えていく。

DATAFLUCTの全てのプロダクトはこの理念に則り、運営していく。

まとめると

MISSION : サステナブルアルゴリズムの社会実装

1.難しいデータ技術を誰もが使えるように。その恩恵をあらゆる産業に。

2.社会課題を解決するデータビジネスを自ら切り拓く。

3.データの力で、100年先も永らえるような意思決定を。

2.Vision & Value –データを商いにするために私たちのスタンス–

「データを商いに。」とは、世界には埋もれたデータがたくさんあり、それらから価値を生み出すというビジョン。

DATAFLUCTとしての役割は、企業と社会の持続可能性の実現と、データを活用したビジネス変革を同時に実現できるようにすること。

すなわち、データ活用を可能にするデータプラットフォームを提供すること。

そういった意味において、DATAFLUCTは企業にとって、共創パートナーであり、プラットフォームパートナーであり、インパクトメーカーでありたい。社内の壁、組織の壁、業界の壁を壊す、ウォールブレイカーでありたい。我々が取り組むのは、どうすればインパクトを生み出せるのか、という点である。

私たちは

・データプラットフォームパートナー

・インパクトメーカー

・ウォールブレイカー

でありたい。

3.Product Concept –データビジネスを可能にするプラットフォーム –

DATAFLUCTのビジネスモデルは二種類ある。

一つは、事業ドリブンであり、事業より、現場よりに近いAI/ML/BIアプリケーション領域。社会課題起点でテーマを自ら設定し、バックキャスティングでプロダクトを打ち込んでいく。

もう一つは、DαtaPlatformを作るエンジニアリング領域。要するに、DWHやDatalakeなどのクラウドデータ活用を軸にした技術支援。進化し続けるデータ活用領域(主にはAI)をより簡単に、誰もが使えるようにすることで価値を見出す。

この二つの領域がお互いに干渉し合うことで、双方のビジネスが影響し合う仕組みになっているし、組織もそのように設計している。

4.Platform Vision -サステナブルアルゴリズムの共有で、世界を一つにする –

100年後も続くようにと考えると、あらゆるところの不均衡を感じる。DATAFLUCTのカルチャーコードFACEは、課題に向き合うデータサインティストのスタンスである。そう考えると、次から次へと生まれてくる。

教育、労働関係、中小企業、組織、冠婚葬祭、食料問題、旅行、物流、防災、警察、どれひとつとっても、今のままで良いと思えるものがない。

様々なモノコトが限界を抱え、今のままではダメだと思われている。すべて、長期思考が必要だと思う。

すべては、日々の意思決定、活動の積み重ねた結果、今の事象がある。

データから最適解に向かうためのインサイトを届け、小さな積み上げから、大きなインパクトが創れるはずだ。

  1. データにアクセスできない、そんな格差が、真実を遠ざけている。全ての人がデータに向かえるような環境を作りたい。/ 統計の知識、プログラミング、業務ノウハウ、分析環境、データなど、それら全てが揃っている環境はほとんどない。すべてが揃わなくても、データがあり、それを誰もが活用できるようになれば、データサイエンスの恩恵を、今よりも多くの人が受けらえれるようになり、それが次の時代の社会基盤を作っていける。
  2. コンサルがお金をとりすぎて、企業自ら変革ができなくなっている。/日本企業はIT投資を怠ってきた。社内にエンジニア教育も怠ってきた。エンジニアに高いお金を払わずに、いいこと言ってくれるコンサルに高いお金を払ってきた。結局、トランスフォーメーションが必要だと言って、自分達は変わらずに、丸投げを繰り返している。データやお金や資本を持っている企業は今しか変わるタイミングはない。まずは、環境を整え、技術に触れ、教育の機会が必要だ。
  3. 社会の不均衡はデータサイエンスで解けるはずだ / エネルギー、食べ物、移動、あらゆるロスはデータサイエンスの問題で解けるはずだ。例えば、食品廃棄のように経済性ばかりを重視して、「販売機会を逃すくらいであれば多く発注しておこう」という考え方は限りある資源活用に大きな負荷になる。「この考え方を是正できないか」から食品スーパーDXに至った。アルゴリズムなら”サステナブル”な意思決定を促すことができる。きっと誰かの意思決定が別の問題につながる。例えば、スーパーの発注量が変わるとき、卸売との間で問題が生じ、その上流 には農家という存在がある。農家は、需要の変動、気候変動による供給力の変化、これらが引き起こす価格の乱高下などに悩まされている。斯くして、一部の農家は生活維持が難しくなり、耕作放棄地も増えた。さまざまなデータを共有できたら、ステークホルダー全員が未来をみて日々の仕事の意思決定ができるはずだと考えた。限りある資産、それは共通剤と受け入れることができたのならば、循環型な社会が作れるはずだ。
  4. 持続可能な都市デザインのために、私たちの税金はうまく使えているのか/食品(モノ)の流れと同様に環境負荷に影響を与えるのが、「人の流れ」の問題である。人が集まるから、混雑、渋滞、感染が起きる。負の感情が渦巻く場合がある。一方で、イベントなどの場合は、にぎわい、熱狂、ポジティブな感情になる。人の密と疎をうまくデータでデザインすることが未来都市の最重要なアルゴリズムだと考えている。単純な位置情報分析ではなく、人間がなぜそこに集まるのか、集まらないのかなどの因果を掴みながら、環境、経済、人々のウェルビーイングを計算した社会システムと連携する都市OSが必要ではないだろうか。スマートコンパクトシティ、ウェルネスシティ、ゼロカーボンシティ、集中していく都市で持続可能なOS(システムとシステムを繋ぐもの)はどんなものだろうか。モビリティについてはどうだろう。 日本は不思議とEV化やシェアリング化が進まない高負荷モビリティ国になってしまった。一人当たりの環境負荷が大きすぎる。モノ、人の移動の次に考えるべきは、どう運ぶか、なんのために運ぶか、というデザインの問題に収斂してきた。交通、輸送、MaaS、人々の意思決定の問題をデザインすることで、都市全体の環境負荷が下がり、より住みやすいライフスタイルを実現できるはずだと考えている。しかもこれは、全体最適問題であり、シミュレーションの問題であり、数学の力を全導入でこそ解決できる問題だ。
  5. 私たちのデータは私たちが私たちのために使いたい / 「データを弊社に預けて欲しい、価値に変えて返すから」という営業トークは刺さらない。結局データを預けても、相手に良いように活用されてしまうことが多いからだ。データは本当に価値があるのに、広告業界がクライアントファーストで進めた結果、大きな不信感が世界中に渦巻いている。映画herのようなエージェントとは言わないが、気持ち悪くないUser Oriented Agent(UOA)の研究はまだ十分ではない。特に、シニア層はデジタル化の流れ(デジタルデバイド)に悩まされている。世の中が便利になっていく一方で、不便を被る人たちが存在している。シニアの生活、自分の味覚、購買体験、金融取引… 本当に頼りになるパートナー、パーソナルエージェントはまだ存在していない。データを人質にとらない、企業の欲に溺れない、ウェルビーイングなデータ流通が時代を変えられるはず。
  6. 人の尊厳を取り戻した働き方は、人生も仕事も豊かにするはずだ。 / 世の中の様々な取引において、企業やフリーランス、親会社と子会社、下請けかパートナーか、常に力を持つ者と持たざる者の間に上下関係が発生していた。「本来、とても価値があるのにどうしで買い叩かれるの」「健康を害してまで取り組まなければならない仕事はあるのか」きっと、新しい社会基盤はこういう取引・労働・雇用・契約・働き方の既成概念も変えるだろう。フルリモートでフラットでプロジェクト型のような新しい働き方、なめらかな働き方へのアップデートは可能だ。それを信頼のアルゴリズムという。DATAFLUCTが実現者となりながら、フォロワーを増やすことで、社会全体の生産性と創造性は高められるはずだ。DFが上場したら、グローバルでサプライヤー支援(データサイエンティスト育成)についてもコミットしていきたい。
  7. 私たちの行動を変えることで、気候変動に取り込める/ 人工衛星のデータから見えるものは何か、それは未来だった。今まさに大気中のCO2濃度・CH4濃度は増え続け、地球環境が悪化している。気温上昇は避けられない。つい最近まで環境問題と経済問題は切り離されていたが、人為的な活動がそれを引き起こすとわかってきた。気候変動に抗うことは可能か。データで未来を照らすことができる私たちにできるのは未来のシナリオを変えるための道筋を見つけてあげることではないか。都市で暮らす私たちはあまりにも地球環境を感じられなくなっている。日々の購買行動・ライフスタイル・価値観を行動変容アルゴリズムによって変えていけるのではないか。世界を知ることで世界を変えられる最後の世代が私たちである。
  8. 短絡的な意思決定が持続不可能な経済活動を生み出している。新しい資本主義のために、遠くを見たわせる投資をしたい。(サスティナブルな経済活動 へ)/ 結局、私たち地球市民の一人一人の意思決定を変えなければ、人間の住むところはなくなる。私たちにできるのは「新たな価値観で見えないものを見えるようにすることで、意思決定において新しい視点・視座・視野を提供すること」である。金融や不動産などの見える資産の選択で長期的思考での意思決定が求められるだろう。これまで見えなかったもの、例えば、ESGを指標化する、炭素量を可視化する、などの視点を加えてみれば、これまでと違った意思決定になるだろう。お店を選ぶ時にも退店リスクがあるところを選ぶことは雇用・建材の問題でも長期思考ではない。これは健康や会社選びにも当てはまることだろう。情報の非対称性が起きやすい市場構造では、データのオープン化によって帰られる余地は大きい。21世紀までは「お金の世紀」。22世紀は「多様な価値の世紀」になり、持続可能な価値の創造の時代に転換していくだろう。

こういうことに挑戦することは軽視されている。その不確実性にチャレンジしていくことこそ、価値があると思って、スタートアップしている。

DATAFLUCTの主眼はそこにある。

以上

入社をご検討いただく際に、改めてこの考え方に同意いただけるか、ご確認をお願いします。

https://datafluct.com/recruit/

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久米村隼人 Hayato Kumemura / 株式会社DATAFLUCT 代表取締役CEO

datasciece for everybusiness! a Data Science Startup Studio DATAFLUCT CEO / ex-Nikkei,Recruit,MACROMILL,Benesse,JAXA.